無料奉仕の精神とは/いつかこの光が遠い未来に届くとき

世の中には、無料というのはいろいろあります。インターネットの世界では無料というのはとりわけ多いので、無料というのにはすっかり慣れてしまっています。ただ、無料と言っても、広告があったり、最初は無料ですが、だんだんと有料のものに切り替えていく必要が出てくることを見越して、無料にしているものなど、大抵はどれも利益を見込んでのことです。

例えば、このブログは無料ですが、ちゃんとページ下に広告のリンクが挿入されています。このブログサービスを運営している会社はここから利益を得ているのです。つまり、このブログを書いている私は、ブログを無料で持たせてもらっている代わりに、客寄せを無料でやると言う仕事を請け負っているわけです。

最近では広告のない無料ウェブスペースというものもあります。これは、ウェブサイトが大きくなったら、有料のサービスに代わってもらうのが目的です。小さな内は無料で作らせ、大きくなったら有料というわけですね。

私も、無料で仕事をしていることがあります。しかし、上記の場合と違うのは、完全に無償と言うことです。以前、それで聞かれたことがあります。「何でそんなことをやるのですか?やる必要がないでしょう。」

「やる必要がない」と言われたときに、生まれて初めて、確かにやる必要がないと言うことに気がつきました。「そうか。やる必要がないんだ。」

何とものんきな話ですが、言われてみれば、そうですよね。しかし、これは、ものの考え方の違いというか、価値観の違いのような気がします。それにしても、私が心の奥底でどのように思って、無償で親切にしているのか、本当にわかる人は世の中にいるのでしょうか?

たとえ今はわかる人がいなくても、きっと私のいなくなった遠い未来には、それがわかる人が出てくるかもしれません。そう言う思いは決して幻想ではないと、以前、宮沢賢治の著作を読んで思いました。なぜなら、宮沢賢治の思いも自分の思いと同じだったからです。ここから放たれた光が遠い未来の誰かに届くに違いない。そう思って生きているのは、自分だけではありませんでした。とてもうれしかったです。きっと私の放つ光もいつかは誰かに届くかもしれません。

それで、先日、この話をある人にしました。

「無料でやってあげていたら、『何で無料でやるのですか?そんな必要はないでしょう?』と言われたことがありますが、これはものの考え方や価値観の違いですよね。」

すると・・・

「私たちは、『無料でやってもらえるなら、無料でやってもらおう』と言う考え方ですから、あなたと同じ考え方の人間ですよ。」

・・・と言われました。

いえ、それはハイエナと言うのです。(^ ^;;;

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